アンドレイ・クルコフ『ウクライナ日記 国民的作家が綴った祖国激動の155日』



 民族としてのロシア人(русский)の分布と、国としてのロシア(российский)とは一致しない。
 この日本人には「はぁ?」としか言いようのないズレを、ロシアとその周囲は共有している。
 『ウクライナ日記』の作者アンドレイ・クルコフがその例だ。



 彼はロシア人夫婦の間に生まれたロシア人だが、ソ連の軍縮方針により父親がリストラの対象となり、キエフ(当時はソ連、現在はウクライナ)に引っ越していた父の母(クルコフからすれば父方の祖父)を頼って移住。その後ロシア崩壊に伴ってウクライナの国民となった。
 ロシア語とウクライナ語を話し、ロシア語で作品を発表しているクルコフにとって、自己はロシア人(русский)だが、ロシア国民(российский)ではなくウクライナ国民である。
 彼自身はウクライナの入欧を支持している。


 クルコフ同様にウクライナという国そのものもまたややこしい。
 かつてはソ連の一部であり、武器を含む重産業を担ってきた当地は、ソ連解体と共に一国として独立する。ソ連にとってこれは予期せぬ「未来」であった。
 結果、両国の国境線によりソ連時代の産業複合体は分断され、そして黒海を望む軍事的に重要な地クリミア半島はロシアではなくウクライナとなった。ロシアにとって大きな痛手であった。
 だがそれもウクライナがロシアの衛星国である内は、まだ良かったのだが。

 さらに加えて「ウクライナ」という国そのものが一枚岩ではない。ロシアとドイツの間の地はそれぞれから交互に侵略されるという抑圧的な歴史を持つが、しかしそれも地域により様相が異なっている。  新たなる侵略者を現在の抑圧者からの解放者と見做し歓迎した地もあれば、現在の抑圧者とも新たなる侵略者ともまとめて敵対した地もある。
 ウクライナ東部と南部はソ連と比較的融和して生きてきた。結果として現在のロシアにも友好的である。対する西部はポーランド支配の時代が長く、ソ連領となった後もロシア化を進めるソ連当局に対し抵抗を続け、東側から送られてくるKGBの職員や教職員を殺害し、また同時に抵抗者は殺害されても来た。
 この抵抗運動の指導者たちは今でも西部ウクライナでは英雄だと言うのだから、親ロシア的な東側との隔絶の大きさが分かるというものだ。


 複雑な歴史を持つウクライナという国で、ロシア人(русский)だがロシア国民(российский)ではない作家クルコフが、経験したことを書き綴った2013年11月21日から2014年4月24日までの155日の日記が本書。
 この日記の冒頭で隕石が落ちたと綴られたウクライナの地は、この日記の最終日には実質的にはもはやウクライナの一部ではない。

 書き手のクルコフ自体はウクライナのEU入りを望み、ロシアからの離脱を志向しているのだが、しかしヨーロッパに対しても一定の距離を保ち皮肉を飛ばすのが実に興味深い。
 最初は純粋たる抵抗者だったマイダン派が徐々に非日常に食われ、ついには非日常を生み出したがるようになる様を見つめる冷静あるいは冷酷な眼差しは、彼の歩んできた半生の苛酷さを想像させる。それとも単に、観察眼が鋭いだけなのか。



 個人的な感想としては、旧ソ連圏をEUに対する緩衝地帯と見做している、故に緩衝地帯のEU化は許容できない、との節のあるロシアのことをどう思っているのか、もう少し書いて欲しかったなー。
 クレムリンの旧ソ連諸国の扱いっぷりなんて私でも知ってるのだから、当事者ウクライナの人間であるクルコフにはもっと思うところがあるんじゃないかと思うのだけれど。
 ロシアのEUに対する警戒っぷりは私にはサッパリ理解出来ないが、周辺国にとってはどうなんだろう。


以下、私がツイッターで見かけたツイートをぼちぼち貼って終わりにします。




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