原求作『キリール文字の誕生―スラヴ文化の礎を作った人たち―』


キリール文字の誕生―スラヴ文化の礎を作った人たち―
キリール文字の誕生―スラヴ文化の礎を作った人たち―原 求作

ぎょうせい 2014-02-21
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 原求作氏のロシア語学習者向けの著作は全て(たぶん)持っていて、内いくつかの作品は読み終わった。
 その作品で私が舌を巻いたのは、氏の日本語能力の高さだった。あれほどスッキリとした文章で、あれだけ豊かでかつ誤読を退けた文章が書けるだなんて、なんて羨ましいことか。
 
 と話がズレたが、本書。
 こちらはロシア語学習者向けの著作とは異なり、水声社ではなく上智大学出版。が、Amazonでの記載はぎょうせいになっている。中身の製作は上智大学出版、実際の印刷・販売などはぎょうせいという分担……なんだろうか。上智大学出版のサイトでは自社作品の扱いなのだが。


 簡素ながらも正確さの光る日本語力が目を惹くロシア語学習者向けの著作と比べると、こちらは文章が全くこなれていない。シャープさを欠き、贅肉まみれである。
 以前に読んだロシア語学習者向けの書籍での文章の精密さの印象が強かっただけに、かなりの衝撃だった。
 が、これはロシア語の文法などを扱ったものではなく、半ばエッセイ、特に前半、なのでそれほどまでに正確さは必要とされていないとの判断なのだろうか。それにしてもちょっと酷いのだが。校正さんのやる気の違い?
 だがこの日本語の贅肉の多さと校正の不完全さに目を瞑れるくらいには、十分に面白い。


 本書で扱われるのは、タイトル通りにキリール文字誕生までの歴史。
 日本語では先に口語があり、それを書き残すために漢字を導入し、後に日本語のためにひらがなカタカナ加えて新しく漢字を生み出したが、スラブ語圏では既存の他国の文字を参考に、新しく作ることとなった。
 その歴史は意外と新しい。その理由は、スラブ圏を分割する小国それぞれ、そして互いの優劣を競い合う教会勢力それぞれの事情にある。そしてなによりも、スラブ語圏の言語の地位の低さにあった。

 このまま野蛮な言語の一つとして、文字を操る知識層から捨て置かれかねなかったスラブ語圏。
 だが、当主が一つ判断を間違えただけで消滅しかねない小国たちの必死の生き残り戦略にキリスト教各派の覇権をかけた争いがたまたま噛み合ったことにより、スラブ語圏にキリスト教を広めるためという名目で、彼らのための書き文字、即ちキリール文字を作るという企画が持ち上がる。
 文字を持たない言語に文字を与える。それは即ち大変なことなのだが、しかし、ギリシャ文字が他言語を圧倒していた当時、その大変さに見合うだけの名誉は与えられるはずはなかった。そもそもキリスト教のありがたい教えを野蛮な現地の言葉に直すなど、一歩間違えば不敬として断じられかねなかったのである。

 この「どうみても罰ゲームです。いやもう罰ゲームって次元じゃないよね?」状態の任務を引き受けたのが、コンスタンティノス(キリール)とその兄メトディオス(メフォージイ)。
 生まれついての天才であり特に言語の才能に秀でていたコンステンティノスの存在から、キリール文字の歴史は始まる。
 彼ら兄弟が辿った苦難に満ちた数奇な人生、そして彼らと同じくらい奇妙な運命を辿るキリール文字の歩みは実に面白い。当事者にもしも直接「面白い」などと言おうものならグーで殴られそうだが。しかも一発で済みそうにない。
 最後にあっさりと書かれているキリール文字が生き延びた経緯は実に皮肉で、なんだか涙が零れそうになった。
 ここらの経緯はかなり「面白い」が、これこそが本書の肝なのであえて具体的な内容には触れないでおく。是非読んでみてくださいな。


 そんな訳で、面白いから読むと良いと思うよ! キリール文字に愛着があるなら、いや無くても、面白いよ!!
 言葉に思い入れが少しでもあるなら、十分に楽しめる一冊だと思います。もうちょっと校正頑張ってクオリティを上げて欲しかったなと思わなくもないけれど。

 この時代のヨーロッパ史(東西問わず)を読んだことがある人は別に何も思わないとは思うが、経験のない人に前もって言っておくとすると、
・教会関係者に清貧を夢を見るのは止めましょう。権力志向バリバリです(だからこそ今も生きてるんだと思うよ真面目に)。金にもガメついです。
・ギリシャ文字の謎の優位性に関しては、もうこういうものだとしか……。自国の言葉が知識階級に大事にされないのも、もうこういうものだとしか……。
・西ヨーロッパしか知らない人に言っておくと、東ヨーロッパの小国の世渡りが三流染みてるのも普通です。小国だから人材がいないんだと思うよ。ポーランドだって東から見たら大国なんだよ! 馬鹿にしないでよね!

 それとフォローとして言っておくが、書き文字とパソコンインフラのインパクトもちゃんと評価してあげて欲しい。
 人間は誰しも自分が普通だと思いがちで、そして同じように今の時代の今のやり方を普通だと思いがちだ。だけどそれは違う。特に現代は凄まじく特異な時代だと意識して欲しい。
 私たちは今、どうでもいいことですら書き残して、そしてそれをマシンパワーで検索出来るようになった。過去の己の主張を読み返すのは簡単だ。だからこそ私たちは首尾一貫した主張をすることを期待されており、また相手に期待する。揺らぎは恥ずかしいこととなった。けれどもこの環境は現代だけの特殊な産物だ。
 発言や思考を文字として残すことが一般的ではなかった時代、書かれた物の検索性が低かった時代、一貫性が今ほどの強権を有していたとは私には思えない。
 だからそれらの時代に、己の発言をあっさりと塗り替える人物がいたとしても、彼が現代と同じ程度に非難されるべきだとは私は思わない。彼のその行為が意識的あるいは無意識のどちらだとしても。
 本作にも現代の視点からすれば「頭おかしい」人が何人か登場するが、あまり責めずにいて欲しいなと思う。そしてそんな人が普通に社会生活を送れていること、つまりは受け入れる組織があることを非難したくなるだろうが、そこは現代とは時代が違うことを加味して上げて欲しいなと思う。
 ――いやまぁこんなこと私がフォローする義理ではないし、そこら辺の配慮をしてあげるべき書物は本書の他にもっとあるのだが。
 ただ現代の価値観が「普通」だと思い込んでいる、と言うよりも、思い込んでいることにすら気が付かない人が一定数いるんだなと思わされる出来事が最近あったので吐き出したくなっただけ。こんなところで言っても意味ないけどさ。
 

 本書に出会わせてくれたAmazonのオススメ機能には、なんだか悔しいけれど、ありがとうと言ってあげる(上から目線)。


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