映画『エルミタージュ幻想』


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 なんと申しますか、非常に良い映画ですね。これは映画館で見たい華やかさ。
 原題をストレートに訳すと、『ロシアの方舟』。


 ストーリーと呼べるようなものはない。カメラは監督でもあるアレクサンドル・ソクーロフの声と、謎の黒衣のフランス人(セルゲイ・ドレイデン)二人に導かれるように、ただエルミタージュを彷徨うだけ。
 だが二人が彷徨うエルミタージュは現在の美術館としての姿だけではなく、栄華を極めた19世紀の、かつての皇帝の影の、華やかな舞踏会の、戦争の闇に覆われた時代の、エルミタージュの歴史すなわちロシアの歴史を表現する空間である。
 交差する時代を彷徨う二人の視線が、これまた良いのだ。
 声だけしか聞こえないソクーロフの視線は現在のもの、そしてそれは観客である私自身が発しているもののように感じられ、一方でカメラの前に姿を現し続ける黒衣のフランス人の視線は、世界の中心だった時代のフランスを代表している。
  だがそのフランスは、ロシアからのカリカチュアでしかない。その証拠に謎のフランス人はロシア語を話すのだ。それはフランスの代表であると同時に、西を意識し続けたロシアからの視線の反射でもある。


 今の時代から見れば、滑稽なこのフランス人(後の彼はフランスの外交官であるキュスティーヌ侯爵だと判明するのだが)の言動は、しかし翻ってこちら側の身を竦ませる。
 強烈に時代の枠組みに囚われているくせに、自分は自由だと思い込んでいるキュスティーヌは、しかし私と同じだ。私が彼と同程度に、あるいはそれよりも酷く、時代に囚われていないなんて、一体どうしたら分かると言うのか?
 私の思考もまた、後世から見れば非常に滑稽なものだろう。過去を見る私は、いつか未来から見られる過去になる。その循環。
 この映画もまた、循環する。物語は最初に戻り、そして過去の人物でしかないキュスティーヌはその場に留まることしか出来ない。
 けれども、未だ人生の途上のソクーロフとそして私は、エルミタージュの扉を開け、先の見えぬ未来に踏み出さなければならない。キュスティーヌに、ヨーロッパに、別れを告げて。
 とは言え、ヨーロッパの視線はもはやロシアの内部に食い込み一体と化しているのだが、しかし、もはやキュスティーヌが体現するフランスは規範としての力を持ち得ない。
 キュスティーヌが問う。どこへ? 答える声は率直だ。――分かりません。



 割と淡々と話すシーンが多いから、かなり聞き取りやすいロシア語だったなーという印象。なお聞き取れたとは言っていない。
 ちなみにこの映画、90分ほどあるのだがワンカットで録ったそうな。そのお陰で映ってはいけないキャストが入っていたりで、画像の加工には難儀したとのこと。
 そこまでしてワンカットで録ることに拘ったのはエルミタージュの時代のうねりを感じさせたいからだと思うのだが、しかし同時にソクーロフとしてはこの手法に関して観客に注意を払わせたくないそうな。手法ではなく映像そのものを見て欲しいということだろう。潔くて素晴らしい。
 キュスティーヌが途中で発するロシアへの辛辣な発言と、自国フランスへの揺るぎない信頼には「ほんとエラソー」と思わず笑ってしまうのだが、これがロシア作だと思うとどこまでも深読みが出来る。何でこんなボロい黒衣なのか?とかね。
 まぁ今の日本でもこの手の類いは結構いるので、ソクーロフのツッコミにも妙な共感が湧いてしまうのも、またこの映画への親近感を高める要素になっていたりする。

 ちなみにこのキュスティーヌ侯爵は実在の人物であり、踊る会議に参加もした一流のお人であり、 そして色々と夢見てロシアを旅してそして挫折したそうな。
 それを描いた『1839年のロシア』という著書もあるそうだが、日本語には訳されていないようで残念だ。



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