ロシアに行って来たよ その5:プーシキン像を遠くにみつつのエカテリーナ宮殿編

2015年06月01日

 観光1日目は、サンクトペテルブルグの郊外、ツァールスコエ・セローへ。皇帝の村という意味ですね。
 かつてはこの地で学んだプーシキンに因んで市の名前をプーシキンに改名したものの、現在はツァールスコエ・セローが正式名称らしい。
 現地ガイドさんがやたら誉めると思ったら、この町生まれでこの町育ちだそうな。なるほどー。
 でも田舎町って感じで、住みやすそうでしたよ。

 最初の目的地はエカテリーナ宮殿。バスから降りたら、演奏隊が君が代を吹いてくれた。こういうのって、前もってどこの国の客が来るか知らされているのかしらん。
 てこてこと歩いて行くと、件のプーシキンの銅像が。


 遠い。近くまで寄る時間はなかったのであります。
 写真クリックで大きくした上で、よーく目を凝らすと見えます、プーシキン像が。
 ひっきりなしに人が来ていたあたり、プーシキンの人気すごい。近くにプーシキンのダーチャ(別荘)もあります。バスで車上から見たけれど、特別変わったところもなかったような。


 こちらはプーシキン像のお隣にある可愛いお家……と思いきや、教会。ズナーメンスカヤ教会。
 プーシキンも通っていたとか聞いたような、聞いてないような。
 更に隣にはプーシキンが第一期生となった学習院があります。



 学習院はエカテリーナ宮殿と廊下で繋がっておりまして、この左側になります。何故か写真を撮っていなかった。



 エカテリーナ宮殿の入り口に辿りつくも、順番待ちなのか早く来すぎたのか理由は知らないが、暫く待つことに。
 写真に写っている門は観光客入り口。本来の正門は別。

 


 門の脇の建物。白が多めで、可愛い。



 入場までそれなりに時間が掛かりそうなので、私一人だけちょっと戻ってお買い物。
 プーシキン像の手前で路上アーティストっぽい人が売っていた手作りのプーシキン像をお買い上げ。初めての対人のお買い物。なのに何故か値切りに頑張る私。
 しかし、値切っている時間があるのならプーシキン像を見に行ったらどうなんだ、私。


 これが購入したプーシキン像。何気にこの旅一番の高額商品。と言っても1,200ルーブルなんですけどね。
 お土産用のピョートル大帝像なんかは割とよく見かけたけれど、プーシキンは見かけなかったので良いお買い物だった気がしないでもない。
 このプーシキン像を売っているお兄さんはプーシキン専用ではなく、他にも小さな兵隊や動物なども売っている。と言うか、むしろそちらがメインのようだ。

私が値切っている間に入場が始まっていたりした。そんな訳で敷地内にコンニチハ。


 天気がすごく良い。金色のタマネギ屋根は、宮殿教会。
 なおこれはモスクワの現地ガイドさんが言っていたことだが、侘と寂という無を愛する日本人とは違い、ロシア人はぎっしりゴージャスを愛するらしい。






 
 青色の壁に白い柱、そしてそれを支えるのはギリシア神話に登場するアトラス。
 どうやら私は相当にアトラスが気に入ったらしく、写真がたくさんある。しかしアトラスも、こんなにたくさん居たら、なんか苦行ですら大安売りな感があるなぁ……。うーん、ぎっしりゴージャス?


 それにしても建物が長い。長すぎて全体を写真に収めようと思うと、もれなく誰かが入る。



 正面。翻っている旗には意味があったような気がするが、サッパリ思い出せない。何だっけ。



 正面に近付いてみた。何気なくトラックが止まっちゃってたりする。
 エカテリーナ宮殿の庭はフランス様式ということになっているので、こんな小さな植木すら綺麗に刈り込まれている。人間が手を入れねばならない、という執念を見せてこそのフランス様式だよなー。
 この正面に通じる道が正門。



 遠くに金色の立派な門が見えますね。
 かつては着飾った馬車がこの道を使っていたのかと思うと、結構ロマンがありますねぇ。




 いきなり結構な距離を歩いて、ようやっと宮殿内にイン。入り口は正面よりも更に奥。
 入り口自体は、ツアーや個人、また時期によって違うらしいが、なんにせよここに辿り着くようになっているようだ。


 最初にお目見えするのは正面玄関。正面入り口から入ると、直接ここに到達するのだろう。
 東西二つにロープで分けられており、見学者は最初東側を次に西側を通る。自分のいる側は遠望が撮れないので、東側に居るときに西を、西側に居るときに東を撮った次第。 



 東側。こちら側のキューピットは目覚めている。




 西側。こちらのキューピットは眠っている。
 天上まで細工が細かい。










 中国や日本の陶器が危なっかしく置かれている。が、ロシアは地震がないから大丈夫だそうな。
 このエカテリーナ宮殿は第二次世界大戦中に酷く損傷し、建物はほとんど全て新しくしたもの。ただ陶器などの備品(?)の多くは戦火を逃れてオリジナルが現存するらしい。
 時計は止まっていて、残念。



 細かいところまで細工が凄いが、しかし、至近距離で見ると生首。


 次は、有名な大広間。



 この天井画は空襲で落ちてしまったので、全て一から復元したそうな。
 天井はアーチ状に凸っているように見えるのだが、実際は平天上。立体感は絵の効果による錯覚。……とは言え、写真ではよく分かりませんね。むしろ凹んでいるように見える。
 凸って見えるかもしれないので、いくつか天井画を撮った写真をご紹介。





 天井画にはEの文字が。これは宮殿の女主人たちの頭文字。
 それ以外には何の情報もなく、つまりはこの大きな天井画を描き上げた人物が誰かは不明。


 装飾はキンキラキン。金メッキ。
 エカテリーナ宮殿はフランスのベルサイユを模倣して作られたものなので、贅沢にガラスと鏡を使っております。





 今となっては想像も付かないけれど、かつてはガラスと鏡(鏡はガラスから作るものなんですけどね)は贅沢品であり、かつ、大きなものは技術の粋を集めて作られる技術品でもありました。
 大きくて透明なガラス、大きくて均一な輝きを持つ鏡は、富と技術の象徴でした。だからこそベルサイユ宮殿は、数多の模倣を生むほどのインパクトを与えたのでしょう。
 なんてことを想像しながらこの大広間を見ると、ロシアをヨーロッパの先進国に押し上げようと腐心したエカテリーナ二世の心意気の反映を見て取れる気がします。

 そもそもの話として、鏡の技術は本来はイタリアはヴェネツィアが秘匿し続けたものだったのですよ。当時としては金になる一級技術ですからね、ヴェネツィアは必死に漏洩を防ごうとしたものの、鏡に魅入られた貴族達のせいで貿易赤字が深刻な額になっていたフランス側の粘り強いスパイ活動により、あえなく敗北。そしてヴェルサイユ宮殿は鏡の宮殿になったのでありました。

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 そんな話が読めるのが、上記の一冊。該当部分は第一章。
 但し、登場人物が多いこともあり読みやすいとは言いがたいので、気合い入れてどうぞ。沈み行くイタリアと、昇り行くフランスの対比がなんだか切ない。

 とは言えど、フランスの繁栄の象徴ヴェルサイユとて、ただ素晴らしいだけの存在ではなく。と言うか、国威発揚に一途すぎて、とんでもなく住みにくい。

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 こちらでは、「ヴェルサイユ宮殿のトイレ(時代的にボットン)の汲み取り槽に、掃除のために入った人があまりの腐敗っぷりに死んだ」なんて知りたくなかった話が読めます。
 私が買った初版は校正仕事しろレベルだったが、その後改訂されたのかな……。

 ちなみにこの大広間、「これだけ広いとどれだけ鏡で増幅されようが蠟燭だけで照らすの無理じゃない?」なんて疑問を抱いたものの、夏しか使わなかったから無問題だったそうだ。ロシアの夏は夜も明るいものね。
 そもそもこれだけ広いと暖房効かせるのも大変だもんな。それ以前に暖房器具を見た記憶がないし。


 何気に床が可愛い。



 大広間で順番待ちをした先は、騎士の食堂の間。





 食器のディスプレイにも意味があるそうだが、その手の方向に興味がないので良く分からない。
 白地に青色の物体は暖炉。ピョートル大帝お気に入りのオランダ式だそうな。
 私の認識では「イギリス式になるまでの暖房は無力」なのだが、果たしてロシアの冬を越せたのだろうか。実はそれなりに能力あったのか。
 薪の投入口が見えないが、下とか裏側とかに隠されているらしい。使う本人である貴族たちが薪入れるわけじゃないもんね。ちなみに煙突も埋め込まれている。


 その後、再び正面玄関を通って宮殿の反対側へ。白の主食堂。




 ここの食器のディスプレイにも意味があるらしいが以下省略。


 次は、木いちごの食堂。食堂と言えども、ここには食器のディスプレイはなかったような。



 ここの暖炉には薪の投入口がある。どんだけ暖炉好きだよ、私。


 テーブルが可愛い。



 緑の食堂。




 果物を頭に掲げたインド(?)の子供の像が可愛い。



 続いては、肖像画の間。飾られている肖像画は、この宮殿の持ち主とその親族たち。
 なお暖炉は二つある。







 そのお隣は琥珀の間。だが写真撮影は禁止。
 元はプロイセンからピョートル大帝が貰い受けた琥珀の装飾が、エカチェリーナ二世によって完成された。が、第二次世界大戦中にドイツに持ち去られて以後、行方不明。
 仕方が無いので、残された資料から復元したのが今の琥珀の間。
 なおこれ以後「ドイツに持ち去られた後は行方不明」な話が多く登場し、徳川幕府の埋蔵金もといナチスドイツの埋蔵金を探す人が多いのも納得。

 琥珀の間は……個人的な感想としては、情報過多でシンドイ。もうちょっと隙間が欲しいなぁ。
 眼球疲労を感じる私が次に向かうのは、絵画の間。






 だからもう情報過多でシンドイと言ったじゃないですかー。天井までギッチリ絵画。ただ一面は窓。
 どれも名画らしいが、これだけぎっちり詰まってると、一枚一枚見るのツライ。



 次は余白が嬉しい、小・白の食堂。




 今まで気になっていた壁紙をようやくアップで見られた。可愛い。






 この家具可愛い。が、何の家具だっけ。驚きの逸品だった記憶はあるのだが。



 そのお隣は、アレクサンドル一世の客間。
 パンフレットと壁紙が違うけれど、アレクサンドル一世の肖像画があるから、たぶん合ってる。







 パンフレットでは他の部屋と同じく白い花柄(?)の壁紙なのに、私が見たのはシノワズリ。
 陶器や椅子に使われている布も中国趣味。ただ天井を見ると、うーん、どうなんだろう。暖炉も今まで通りだし……と言おうと思ったが、よく見るとこれも柄は東洋趣味か?
 と言うかアレクサンドル一世時代の部屋なのに、暖炉がまだオランダ様式なのは何故。
 それにしても何だかチグハグなお部屋だなー。あ、椅子は可愛いです。



 お隣は食堂。こちらは単に「食堂」という名前らしい。
 一体いくつあるんだ、食堂。


 こちらは白い花柄の壁紙。
 アレクサンドル一世の客間のシノワズリ趣味から一気に時代が変わった感があったのに、元に戻ったぞ。



 次も食堂。今度は緑の食堂。係の人が何か準備をしていた。配置変えるのかな?



 食堂で一度戻った時代が再び前に進んだ感のある装飾。古典主義か? イギリスの影響を感じる。
 まぁ暖炉自体がイギリス式になってるしね。フランスが衰え、イギリスが時代の寵児に躍り出てきた頃なのかな。


 私が暖炉暖炉と五月蝿いのは、この本が面白かったから。

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 「もしかして暖炉って役立たずだったの?」なんて嫌な想像が浮かぶ一冊。


 今まで部屋間にはドアがなかったのに、ここで登場。ドアノブが可愛い。
 お隣は給仕の間。ピンク色。




 その奥の赤いカーテンは、スターノフの階段。




 パンフレットでは白く気品があったスターノフの階段なのに、太陽の加減か赤いカーテンの光が落ちて、凄くピンク。
 しかも階段を降りた先には大きなテレビ。韓国メーカーが幅を効かせる中、意外にパナソニック。子供向けの解説ビデオを流したりするらしい。

 その後、最初の入り口付近に戻るのだが、その長い廊下には戦争で空襲を受け焼け落ちたエカテリーナ宮殿の姿と、その修復作業を収めた写真が。



 最初の入り口に戻った。ここで暫く自由時間。
 この周辺にはお土産物屋さんが複数あり、特に人形が可愛い。が、値段が分かりにくいのがネック。ついでに言うと、そこはかとなくネック吊り状態で陳列されているのも、ちょっとアレ。
 この人形、買おうかどうしようか迷い他の所でも買えるだろうと見送ったのだが、ここの土産物屋ほど豊富な種類を揃えているところには出会わなかった。買っておけば良かったかもしれない。けど置く場所ないしな。


 各国の言語版のパンフレットが売られている。日本語のもあるよ。「の」の時点で限界だったんだなー、と思わせてくれる表示付き。
 このツァールスコエ・セローのパンフレットはフルカラーの地図付きで便利です。

 エカテリーナ宮殿の見学を終えたので、最初に入った側とは反対の側から出て、今度はエカテリーナ公園へ。


 こちら側にあるのもアトラス? なんか頭と背骨だけになってるんですけど。可愛いお花が付いているけれど、よく分からないセンスだ。

 洒落にならないくらい長くなったので、ここで分割。



場所: ロシア サンクト・ペテルブルグ プーシキン アレクサンドロフスキー公園

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