なんだかんだで二周年



 過去の記事を見返していて気が付いた。私がこのブログに最初の記事を書いたのは2013年の10月17日だった。

 そんな訳で、このブログも祝二周年でございます。三年目に入った訳ですね。
 この飽きっぽい私にしては、結構な偉業だなと。
 ちなみに個人的にブログは三週間目・三ヶ月目・三年目に挫折する人が多いと思っているので、 あと一年乗り切ることが出来れば、もう長生き出来るんじゃないかと思います。


 学生時代はあれほど英語から逃げ回り、大学の必修第二外国語として選んでしまったフランス語では自分の語学センスのなさに震え、二年で終われないんじゃないかと心底恐怖した私がこうやって趣味でロシア語なんて勉強しているんだから、人生何が起こるか分かりませんね。
 フランス語選択の私が聞き取りに討ち死にしていた頃、ロシア語選択の知人は平和にピロシキを焼いてましたけどねー。選択人数が少なすぎて、なんかもう楽園だったらしいよ、ロシア語。
 ……今はもう選択肢から消滅してそうだなぁ、ロシア語。



 とは言えど、私がロシア語をこうしてダラダラ続けられるのも過去の英語とフランス語で受けたダメージ故なのですが。
 ロシア語をこうやって趣味で勉強していて思い出すのは、何故か学生時代の授業風景で。
 その時に身に付けたノートの取り方やメモの仕方などがそのまま今も出てくることに、私は妙な気持ちを味わいました。


 思い返せば英語には、他人の書いた文章を読むことは、己の思考能力を問われることだと教えてもらった。
 高校生の時に英語で読まされた東洋論やジェンダー論は強烈だった。文法も単語も全部理解出来ているのに、文章の意味が分からない。
 英語の問題ではないのだ、これは恐らく日本語で書かれていても理解できないと、そう認めざるを得なかったときの挫折感は今なお鮮やかだ。
 ……いやそもそも、そんな論を読めるような知能があれば、この高校に居ませんよ? もっと良い高校行ってるよ? と思ったけれども。
 文法や単語が分かれば読める、逆に言えばそれが足りないから私は読めないのだ、とばかり思っていた英文が、それだけが問題ではないと教えてくれた。
 私が書き手に寄り添って文章を読もうと努力し始めたのも、この出来事以降のことのように思う。書き手が言いたいことさえ分かれば、多少の文法や単語知識の欠如など問題にはならないことを、私は逆説的に知ったのだ。

 加えて、この出来事は私に妙な自信を与えた。あれほど意味不明な英文だって、なんとか日本語に出来たのだ。この程度の英文が訳せないわけはない、という謎の自信である。
 だが人生、この自信なしにはやっていられないのも確かだ。出来ると思わなければ、出来やしない。
 どれほど意味不明でも、書き手と同化しようと努力すれば、突如理解が開ける瞬間がある。書き手の主張を知ることが出来たその瞬間、それは結構な快楽だ。
 まぁ、どれほど足掻いても何を言っているのかサッパリ分からない時もあるんですけどねー。



 そしてフランス語には……己がどれほど言語センスに恵まれていないかを教えてもらった。加えてヨーロッパ言語とはいかなるものか、ということも教わった気がする。
 英語のaとtheの区別なんて目じゃないほどの、冠詞の多さ。
 三人称単数形のsに呪詛を吐いていたことを恥じたくなるような、動詞の活用形の多様さ。
 英語ですら理解が難しかった時制は、更なる複雑さを見せる。
 名詞に性があるとか、もうお前何言ってんだ!?の世界であった。

 二年間の必修フランス語は結局、英語と混ざるという最悪な結果しか私には残さなかったが、歴史の流れに摩耗してシンプルになってしまった英語とは異なるヨーロッパ言語の誇りのようなものを強く印象づけた。
 そしてロシア語である。フランス語の挫折の記憶も遠のいた頃に、仕方なしに始めたロシア語は、否応なしにフランス語を思い出させてくれた。
 私は本当に、本当に、フランス語には手を焼いた。あれほど成績表の「可」の文字が嬉しかったことはない。
 フランス語を必修させられていた当時の私はまだ未成年だ。大学受験を終えて間もない。最も学び盛りである。にも関わらずあの惨劇。
 私がロシア語をどれほどおっかなびっくり始めたことか。

 だがロシア語は、フランス語に初めて触れた時ほどの衝撃はもたらさなかった。
 冠詞が存在しないことは好印象であった。名詞に性があることは予想の範囲であったし、大体が見れば判別が付く点には二重丸をあげたいくらいに気に入った。動詞の活用っぷりも予想の範囲であった。時制もそうややこしくはない。動詞に完了体と不完了体の二種類があるのを知った時は、理解できなさすぎて読み返してしまったが。


 この全ては、フランス語様様である。
 フランス語で大きく躓いたからこそ、どんなに些細であろうともロシア語の文法事項を理解出来たときには嬉しく感じられるし、そして理解出来ない時にも「仕方が無いよね」と諦めが付くのだ。十九の私はフランス語の動詞活用を覚えられなかった。ならば今の私がロシア語の活用表を埋められないのも当然ではないか、と。
 そして英語で読まされた東洋論やジェンダー論が、ロシア語長文に挑ませるのだ。正直なところ、東洋論などの内容は全く覚えていない。
 だがそれら黒々とした文章に辞書と文法書を装備して挑戦したこと、その挫折と味わされた己の限界、だが何度倒れても必死に筆者の声を聞けば時として一気に世界が開けることを、またそれがもたらす快楽を私は知っている。



 ここ二年ほど、ロシア語を趣味として学んでいて思い出すのは、学生自体のことばかり。あの頃に自分が書いたノートや、英文に書き込む際の自分ルールが甦ってくる。
 私が作るロシア語の単語帳では名詞は青色で、副詞は紫色、動詞は赤色だ。どうしてこの色にしてしまうのだろうと疑問だったのだが、これは高校生の頃に作っていた英単語帳と同じ配色であった。
 新規単語のために辞書を引くとき、その単語に下線を引く。これは中学生の頃に塾の先生に教わった方法だ。久しぶりに紙の辞書を手にしたにも関わらず、自然と下線を引いていた。
 最近妙に実感する。学生時代の私は、勉強の方法を教わっていたのだな、と。
 今も昔も英語は大っ嫌いだし、フランス語には挫折の印象しかない。だがそれでもこれだけ影響力があるのだから、学校教育というのは恐ろしいものである。


 そんな訳で露和辞書を酷使しているのだが、崩壊の予兆らしきものが。



 1ページだけ大きく飛び出ているのは何故? このページほどではないけれど、他にも数ページ飛び出てるんですよねコレ。
 いやまだ二年だよ。英語にキレた私の手によって何度も投げつけられた可哀想なジーニアス英和辞典ですら、六年間も何の文句も言わずに耐え切ってくれたと言うのに。
 私が愛する国語辞典は先日崩壊してお亡くなりになったけれど、あれは母が贈られたもので母と私二代に渡って計三十年くらい現役だったしなー。
 この二冊に比べれば断然丁寧に扱っていると言うのに、露和辞典さん、なんでページ飛びだしてんだ……。し、死ぬの?

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 買い直しも視野に入れて、値段見返したら結構高かったのね、君。
 ちなみに私は岩波の露和を愛用しております。表紙が格好いいんだもの。
 辞書なんて使ってみないと善し悪し分からないし、一目惚れで選んでも良いじゃない!


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