言語が違えば、世界も違って見えるわけ | |
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ロシア語学習に直接は関係ないのだけれど、なかなか面白い本だったので、こちらでもご紹介。
どんな言語でも同じ程度に複雑で、同じように思考することが出来る。そんな常識に疑問を突き付ける一冊。とまぁ、簡単にかつ極端に本の内容を言えば、だが。
ロシア語の過去形を習った後に、主語を私(я)にして書こうと思って驚いた。「動詞の過去形は主語の性別によって違う……つまり『私』の性別をもれなくオープンにしなくっちゃならないのかよ!?」と。
一人称・私の性別を明かさずに文章を綴ることの出来る日本語を母語とする身には、これはなかなかにショッキングな事実だった。
「私、女だけど~」は、一時期ネットで流行ったウザイ言い回しのネタであった。それがネタになるのは、「お前の性別なんざどっちでも良いわ。聞いてもいないのに勝手に情報開示すんなよ」との意識が強く働いている。
だがこの言い分は過去形においてのみはロシア語には適用不可能である。過去形の場合は自分の性を開示せねばならないと、言語自体が定めているのだから。
加えて、女性形の動詞過去形を綴りながら、自分の性別に疑問を抱いているがまだ性同一障害だと認定されるまでには至らないグレーな人には酷な言語なのではないか、なんて勝手な心配を抱いてしまったことも覚えている。
ロシア語のように自分の性を意識させられる(ロシア語の場合は過去形だけだが)言語と、そうではない言語で、自身の性に対する違和感との遭遇回数は違うように思える。つまり言語は全てが等価ではないのではないか。
そんな疑問を取り上げてくれるのが、この一冊。
サクサク読めるので、気になった方は一読をお勧めいたします。
本書が扱う内容からして、様々な言語が登場する。
日本語の例はほぼ皆無(日本の「青」信号の話は出てくるが、正直的外れな例え話だと思う)な一方、ロシア語の例は何度か登場する。
本書で披露されるロシア語では水色と青色は、単に濃淡が異なるだけではなく全く違う色だと認識されているとの話は、去年の匹田剛先生のNHKラジオ講座まいにちロシア語で取り上げられていた記憶がある。割とショッキングだったので覚えているのだが、しかしテキストを散逸してしまったので、何月号なのかサッパリ分からない。
基本的に面白い本書ではあるが、ただp.255の「ロシア語やポーランド語などのスラブ言語では、主語が女性のとき、一部の動詞に接尾辞-aがつく場合もある」との記述は正直謎だ。
過去形のことなのだろうか。 でもそうなると「一部の動詞」ではなくて、「ほぼもれなく」になってしまう。結論として、よく分からない。
更に、ヨーロッパ系言語を学ぶ時にネックとなる名詞に性があることについては章を一つ丸々使って語られている。ちなみに本書は元々英語で書かれているのだが、著者自身の母語(なんだったか忘れた)は性を持つ言語である。
しかしその内容は、他の章の冷静さとは異なりかなりのヒートアップぶりで、性を持たない日本語を母語とする身には草を生やしながら煽りたい衝動に駆られてしまう。基本的に他人に煽られるのが嫌いであるので他人を煽ることはしたくないのだが、そんな建前をあの世にブン投げる勢いで煽りたくなる。
ロシア語を学び名詞が持つ性別が描き出す豊かな世界を覗かせてもらった身としては、著者の言い分は100%頷けるのだ。が、それでもこれだけの衝動に駆られてしまうのだから、この章は日本語や英語などの言語しか知らない人の共感は絶対に得られず、大失敗なのではなかろうか。
と、割と本気で心配になる。
この強烈な衝動に駆られるのは私だけなのか、それとも結構な割合なのか気になるので、一読された方はこの章の感想を教えてくださると嬉しいです。
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