ロシア闇の戦争―プーチンと秘密警察の恐るべきテロ工作を暴く | |
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戦争を始めるのに必要なのは「敵のイメージ」であり、このイメージが恐ろしければ恐ろしいほど、戦争を始めるのは容易になる。(p.410, ゴチヤエフの供述)
金はいくらでもあるが、本当に欲しいのは権力だ。権力があれば何でも出来る。
そんな歌詞を何かのアメドラで登場人物が歌っていたが、事実である。金などなくとも、権力は全てを与えてくれる。形あるものも。ないものも。
今でこそ絶大な権力と人気を兼ね備えるプーチン現大統領だが、エリツィンからその座を引き継いだ時の彼はまだ国民にさほど知られてはいなかった。
その彼が何故大統領となれたのか、そしてどうして今これほどまでに人気と権力を獲得したのか。その全ての発端は第二次チェチェン戦争にある、と作者らは言う。
戦争、それは愛国心に火を点けると同時に、安全と引き替え(という口実で)安易に己の自由を国家に売り渡してしまう特殊な事態なのだから。
本書で描かれるのは、戦争を始めるのに必要な「敵のイメージ」をプーチンを産んだKGBの後継者たるFSBが以下に演出し、その為にロシアの国民がテロ攻撃という自作自演に巻き込まれ、そして戦争という泥沼へと連れ込まれたかが描かれる。
また同時に、この事態に至る下地としてロシアがソ連時代から引き摺っている影の部分「契約殺人」の仕組みとその担い手たちのことも語られる。
「あの日、誰も演習だったなんて説明はしてくれませんでした。私たちは演習だったとは信じていません。でもこの国では、なにかが爆発すればテロ攻撃、連中が爆発物を解体したときは『演習』だったということになるんですよ」(p.288, カルトフェリニコフ)
その全てを信じる根拠は、実のところ存在しない。けれども、本書で登場する死者の数を思えば、そんな確かな根拠が失われてしまっていても不思議では無いのだ。作者の一人であるリトヴィネンコもまた死んだ。
全てが証明されるまでは、事実ではない。けれども、全てが証明されないからといって、それが嘘とも言い切れない。
だが、私たちは失敗したのだ。私は共著者を失ってしまった。(略)アレクサンドルは毒を盛られた。だから、この「序文」には私一人の署名しかない。(p.39, フェリシチンスキー)
あなたが私だけでなく愛するロシアとその国民に対しておこなったことを、神がお許しになりますように。(p413, リトヴィネンコ)
真偽のほどを気にしないのなら、すごく面白い本なんだよなー。
リャザンで爆破装置付きの「砂糖袋」が近所の住人によって発見されてからの顛末や、途中で突如手の平を返すFSBの変わり身の鮮やかさっぷりとそのお粗末さとか、「砂糖袋」のせいで一晩中寒風吹きすさぶ夜空の下に放り出された住民たちの悲嘆とか、そこから一気にリャザン以前のテロに疑問が湧いていくる展開とか、もう全てが面白い。その筋書きが。
けれどもこれがフィクションではなくて、実際にテロ攻撃の被害に遭った人や、「演習」のせいで酷い風邪を引く羽目になった子供などが実際に存在するのだと思うと、一気になんとも言えない気持ちになる。
まぁ、立て籠もり事件を解決するために謎のガスを注入して、テロリストどころか人質にも重い後遺症を残して平気な国だしなぁ……。
「人名は地球よりも重い」なんて主張が受け入れられる国と、どちらがよりマトモなのかは、うん、まぁ。
正常ってどこだっけ。何だっけ。存在するっけ?
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