ワレリー・ゲルギエフ芸術総監督・指揮のマリインスキー・オペラ「エフゲニー・オネーギン」を観に行って来たよ




 現代ロシアを語る時に欠かせない一人、ワレリー・ゲルギエフが来日公演することを知ったので、 10月8日の土曜日に、ロームシアター京都までオペラ「エフゲニー・オネーギン」を観に行って来たよ。
 案の定、バスが複雑怪奇すぎて迷ったよ! GoogleMapがあるって言った場所にバス停無いとか、泣ける。
 ……お前何回この界隈に来てんだよ!って突っ込みはナシの方向でお願い致します。

 ゲルギエフさんはしょっちゅう日本に来ているイメージだったが、マリインスキー・オペラとしては5年ぶりらしい。ちょっと意外。
 原作はご存じプーシキンの同名の小説。
 昔読んだ時の感想は「りぼんでこんな系統の漫画を読んだことあるなぁ」くらいで、タイトルにもなっているオネーギンに感じては特に何の感情も抱かなかったのだが、歳を取ると共に段々と人間そのものに対する態度が軟化して来たからか、演出の賜物か、歌手の演技の素晴らしさ故か、今回はオネーギンがとても哀れに思えた。


演出:アレクセイ・ステパニュク、舞台美術:アレクサンドル・オルロフ

・第一幕
 場所はロシアの農村。壇上にはやたらとリンゴ。5000個あるらしい。ちなみに本物ではなく、偽物。ボールに色を塗っているっぽい。
 のんびりとした空気が漂う中、この地の領主ラーリン家の娘二人が現れる。姉のタチヤーナ(マリヤ・バヤンキナ)は読書好きの空想家、妹のオルガ(エカテリーナ・セルゲイエワ)は陽気で純真だが、傲慢さをも併せ持つ。
 恵まれた暮らしにも関わらずわざわざ悲劇を読んでは悲しがるタチヤーナを、オルガは不思議がる。かつて娘の自分は読書が好きだったと言う乳母(エレーナ・ヴィトマン)も今では現実主義者となっており、タチヤーナの理解者にはなってくれない。

 そんな中、収穫を終えた農民たちが主であるラーリン家に麦を持って現れる。ラーリン家の夫人(スヴェトラーナ・フォルコヴァ)が彼らをもてなすべく舞台を去って行く。
 農民たちが去った後、近所に住むオルガの婚約者レンスキー(エフゲニー・アフメドフ)がラーリン家を訪れる。彼は新たに隣人となったオネーギン(アレクセイ・マルコフ)を伴っていた。オネーギンは叔父の遺産を引き継ぎ何不自由ない身分であったが、サンクトペテルブルクでの都会生活に飽き、田舎に引っ込んできていた。だが既に田舎生活にも飽き飽きしていた。
 オルガとタチヤーナ、レンスキーとオネーギンはそれぞれに様々な感想を抱く。
 オネーギンはレンスキーが選んだのが軽薄そうなオルガであったことに驚き、自分だったら姉のタチヤーナを選ぶだろうと独白する。一方のタチヤーナは世慣れた大人然としたオネーギンに心奪われる。幼馴染みであり親も同意済みの婚約者同士であるレンスキーとオルガは、幸せの中。
 未だ世の中を知らぬ片田舎で幸福に育った若い三人に、都会ですっかり擦れてしまったやや年上のオネーギンが加わったことにより、彼らの関係は奇妙に捻れて行く。


 夜も更けたが、オネーギンへの思いに焦がされるタチヤーナは未だに眠れずにいた。心配して顔を出した乳母に、己の空想めいた恋心を語るが、今や年老いてしまった乳母は既に若々しい気持ちなど忘却の彼方なのであった。
 恋に焦がれるタチヤーナは、はしたない行いだとは知りつつも、オネーギンに恋文をしたため始める。ああでもないこうでもないと何度も書き直した末に、夜明けと共に書き上がった手紙を乳母に託し、オネーギンへと届けさせる。


 オネーギンに手紙を出すなんて、何とはしたないことをしてしまったのだろうと後悔するタチヤーナ。だがそれと同時に、ここまでの行為に走らせるほどの己の恋心がオネーギンに伝わるのではないかと、期待も抱く。
 だが舞台は暗く、枯れ木が横たわり、彼女の恋心が不幸な結末に終わることを暗示しているかのようだ。
 期待と不安を抱くタチヤーナの元に、遂にオネーギンが現れる。自分を見つめる純真な眼差しに対し、オネーギンは彼女の手紙を突き返す。大人びた風情で、まるで子供を諭すかのように彼女の軽薄な行為を窘めるその姿は、彼の彼女の間には超えられぬ壁があることを示すかのようで、タチヤーナの心を折るには十分であった。


・第二幕
 場面は変わって、タチヤーナの命名日の祝いの宴。ロシアでは名前は聖人から取られることが多く、その聖人の日を誕生日とは別に祝うのだそうな。
 賑やかなラーリン家の祝宴に、招かれた客人たちは大満足。それぞれ勝手に盛り上がるのだった。だが主役のタチヤーナの表情は晴れない。レンスキーに誘われてオネーギンもこの祝宴に顔を出していた。
 そんな中、彼らが待ちかねた客がやってきた。フランス人家庭教師のトリケ(アンドレイ・ゾーリン)だ。
 いい歳をして好色な彼はタチヤーナに無駄にお触りしつつ、みなさまお待ちかねのクープレ(二行連句)を彼女に捧げる。

 宴はたけなわだが、この田舎染みたどんちゃん騒ぎもくだらない噂話も、全てがオネーギンには気に入らない。この苦痛でしかない場に己を誘ったレンスキーに仕返しをすべく、オネーギンは彼の婚約者でありタチヤーナの妹であるオルガに付きまとう。一方のオルガも、都会の空気を纏った彼の誘いを拒絶はしないのだった。
 レンスキーはオネーギンに抗議をするが、オネーギンは意にも介さない。オルガに至っては嫉妬するなんて馬鹿だと言う始末だ。
 以前から約束していたマズルカの相手役すらオネーギンに奪われたレンスキーは、遂に怒りを爆発させ、オネーギンに手袋を投げつけ決闘を申し込む。
 やり過ぎたかと後悔するオネーギンではあったが、もはや後戻りは出来ないのであった。
 事の展開に驚き嘆くタチヤーナとオルガ。レンスキーはオルガに最期の別れを告げ、宴を後にする。


 早朝。レンスキーは立会人ザレツキー(アレクサンドル・ゲラシモフ)と共に、決闘の場でオネーギンを待っている。どうしてこんなことになったのかと嘆くが、しかし、今更オネーギンと友人同士に戻ることなど出来ないのだった。
 立会人を連れてオネーギンが現れたのは、約束の時間を過ぎてから。
 互いの顔を見た二人は、それぞれなんと馬鹿げたことかと嘆く。笑って元通りの関係に戻れないかと二人ともに空想するが、しかしここに来ては事は遅すぎた。
 何事も厳格なザレツキー指示の元、二人はそれぞれ拳銃を手に距離を取る。発砲音の後、そこにあったのは立ち竦むオネーギンと、横たわり動かないレンスキーの姿であった。


・第三幕
 時は流れ、舞台はサンクトペテルブルクの豪邸での舞踏会。参加者は皆高価な衣服と宝石を身に纏った、洗練された貴族ばかりである。
 その中に、オネーギンが現れる。彼はレンスキーの一件の後、ロシアを離れヨーロッパを放浪していたのだった。だが旅にも飽き、遂に母国に戻って来たのである。だがまだその罪の意識から逃れられないでいた。
 そんな彼をこの豪邸の主であり親戚でもあるグレーミン公爵(エドワルド・ツァンガ)が舞踏会に誘ったのだった。
 未だ憂いの中に居るオネーギンの目が、一人の婦人の上に留まる。と同時に、彼は熱烈な恋に落ちた。
 グレーミン公爵を捕まえ、件の婦人が何人かと問うたオネーギンにもたらされたのは、衝撃的な事実であった。この洗練された女王然とした女性は、なんとあのタチヤーナだと言う。しかも今やグレーミン公爵夫人となっていた。
 オネーギンの内心など知らぬグレーミン公爵は、彼に妻をいかに愛しているかを歌う。歳をとっても恋は良い物だと。
 タチヤーナの方もオネーギンに気が付き、未だ少女だった頃のたった一日で打ち砕かれた初恋を思い出していた。だがそれは終わったことだと自身に言い聞かせ、単なる元隣人としてオネーギンに接するのだった。


 夜、一人になったタチヤーナの前に、オネーギンが現れる。彼は彼女に愛を告げる。かつての己の行いを悔い、今こそ彼女を愛すると誓うのだが、タチヤーナは応じない。
 それでも熱烈に愛を歌うオネーギンに、ついにタチヤーナは今でも彼を愛していることを認める。がしかし、それと同時に夫を裏切るつもりはないとも告げるのだった。彼の妻として人生を全うするつもりだと。
 口付けを残して立ち去るタチヤーナの姿に、オネーギンは彼女が手に入らないことを理解せざるを得ないのだった……。




 第一幕第一場のリンゴの大量っぷりに、「これ農民たちは麦じゃなくてリンゴ持ってくるのかな」とか思ったけど、そんなことはなかったぜ。
 第一場以外でもリンゴが一個だけちょこんと落ちていて、何か意味があるのかと考えてしまったが、実際の所どうなんですかね。


 会場で販売していたプロコフィエフの「セミヨン・コトコ」(先行発売らしい)とシチェドリンの「左利き」が欲しかったが、財布の中身が寂しかったので我慢した。
 ボーナス入ったら買うんだ……と思ったが、もしや「左利き」のBlu-rayって売ってない?  リージョンが同じイギリスamazonででも探すか。


 今回私が初めて行ったロームシアター京都。今年1月にリニューアルオープンしたとのことで、この公演もオープニング事業の一部。前の名前は京都会館。随分とオシャレになったなぁ。
 ちなみに一階には蔦屋書店とその中にスターバックスが入っている。他の蔦屋書店と同様に品揃えが一風変わっているが、ここは京都という土地柄なかなか素敵なものが揃っている。


 ロームシアター京都はみやこめっせのお向かい。みやこめっせの印象的な赤い像が、道路の向こうに見える。


 蔦屋書店の入っている建物前方をくぐり抜けた先に本館が。中に入って更に2階が、メインホールの入口。つまりメインホールの1階は実質2階という、ちょっとややこしいことに。
 ちなみに写真右側に映っているのは、京都市立美術館の別館。



 ロームシアター京都の隣は岡崎公園。
 この日はイベントが開催されていて、小さなお店がたくさん。見て回るの楽しかったです。


 その先には平安神宮。人が多くて、どうしたって写真に他人が入ってしまう。
 ちょっと色が褪せてきてるような気がする。


 振り返れば鳥居。本来は鳥居をくぐってから来るべきだとは思うが、遠いのであっさりと挫折。


 平安神宮近くの自動販売機。謎のいろはす押し。

 ぐるっと観光したので、ロームシアター京都に戻った。
 私の取った席は3階、つまり実質4階。廊下には座るところが多くて好印象。


 更には広めのテラスまである。素敵。テラスの端っこから撮った写真が上の。
 隣の岡崎公園がよく見える。鳥居は頭だけちょっと見える。


 テラスの別の端っこに行けば平安神宮の敷地内もちょっとだけ。手前の屋根は京都市立美術館別館のもの。


 リニューアルしたばかりとは言うが、ロームシアター京都の音響は割とフツー。
 ただ、三階席から舞台の見にくさは異常。席の背もたれの上に手摺用のバーが付いているのだが、これが視界にジャストフィット。ずっと視界の下の方に手摺バー。たぶん設計者は座高が凄く高くて、この手摺が邪魔にならなかったんですね!

 ……この手摺って必要あるの? 確かに無いと席までの移動がしにくくなるが、しかし移動する時間よりも断然、舞台を見ている時間の方が長い訳で、尊重するべきは後者だと思うんです。
 前日のフェスティバルホールの三階席では、傾斜が強烈だった代わりに視界は快適だっただけに、嫌に苛つく。更にフェスティバルホールの音響って実は素晴らしいのではと思ったりもした。

 一階席か、それ以外では最前列が取れない限り、もうここのホールで見たくない。
 手摺のバー取ろうよ。


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場所: 日本, 京都府京都市

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