映画『フェンサー』


 (画像はInternet Movie Database当該ページのスクリーンショット)

 エストニア映画なので、このブログの守備範囲なのか激しく微妙なのだが、けれど、ロシア語がちょっと分かる程度の私でも日本語字幕から零れた情報が拾えてなかなか興味深かったので、ここでご紹介。
 ただ見ている内に徐々にロシア語が嫌いになるんですけどね……。

 ちなみに私がこの映画を見たのは京都ヒストリカ国際映画祭という、ちょっと特殊な環境。日本の一般映画館での公開は今のところ未定。
 でもアカデミー賞のエストニア代表とか何かになったらしいので、そこで話題になれば日本公開もあり得るそうな。
 公式サイトすら見付けられなかったので、画像は映画情報サイトのスクリーンショットという有り様。



 舞台はソ連に併合されていた頃のエストニア。エストニアはその地理的要因故に、ドイツ・ロシア双方から交互に支配されてきた歴史を持つ。
 第二次世界大戦後、ドイツ領であったエストニアはソ連の一部となり、共産体制に組み込まれることとなった。
 時代は1950年代、スターリン体制末期。疑心暗鬼に駆られたソ連中枢により、大戦中にドイツ兵として徴集されたエストニア国民はソ連の強制収容所送りにされていた。徴兵されていなくとも、戦中ドイツ軍への協力が疑われれば同じ運命を辿ることになる。

 そんな男が街から消えたエストニアの片田舎、ハープサルにやって来たのはまだ若いエンデル・ネリス(Märt Avandi)。
 彼はハープサルの小学校の体育教師として採用されるが、しかし校長(Hendrik Toompere Sr.)には都会レニングラードからやってきたネリスが気に入らない。
 早速校長の嫌がらせが始まる。ネリスに道具も予算も与えずに、ただ体育教室を開催するよう迫ったのだ。ネリスにあるのは、かつて打ち込んだフェンシングの道具だけ。
 思わずそれを手に取り、かつてのように練習に打ち込む彼を見詰めていたのは、生徒のマルタ(Liisa Koppel)。
 マルタにねだられる形で、フェンシングを子供たちに教えることとなるネリス。だがそれは、身分を隠さねばならぬ彼にとっては、危険な行為でもあったのだ。

 ネリスの事情など知らぬ子供達は、徐々にフェンシングにのめり込んでいく。フェンシングに大切なのは、音を立てずに動くこと。相手との距離に、慎重になること。
 最初はただ身を隠すために始めた体育教師の仕事が、ネリスにとっても生き甲斐になって行く。そして同僚の教師カドリ(Ursula Ratasepp)との仲も親密になりつつあった。
 ソ連の秘密警察に追われる身であるネリスは、静かに距離をとって生活しなければならなかったのに。

 仮初めの平和を揺るがしたのは、フェンシングを学ぶ子供たちの一人ヤーン(Joonas Koff)の祖父が見付けた一枚の広告。それはフェンシングの全国大会への参加呼びかけであった。
 参加したいと騒ぎ立てる子供たち。だがその大会はソ連の中心レニングラードで開催されるのであった。
 距離をとれ。静かに。そうシベリアに去ったネリスの友人は言った。レニングラードに行くなんて、自殺行為だ。だが逃げ惑っているだけでは、ポイントは取れない。試合に勝てない。
 秘密警察がまた一人、ハープサルの街から男を連れ去った。今度はヤーンの祖父(Lembit Ulfsak)だった。
 涙に暮れるヤーンに、ネリスはフェンシングの練習用の剣を渡す。ネリスはついに決断を下すのだった。
 



 ちなみにこのエンデル・ネリスという映画の主人公、なんと実在する人物だそうな。エストニアで伝説的なフェンシングチームを作り上げた功労者とのこと。
 映画内で彼が設立した体育教室は今でも存在するらしい。

 話の流れは実に分かりやすく、ちょっと出来すぎな感もする映画なのだが、この映画、日本語字幕から零れ落ちてしまっているが、しかしよく見るとエストニア語の他にロシア語そしてちょっとドイツ語が登場している。
 この言語のごちゃ混ぜ感が、エストニアの辿ってきた歴史の反映のようで、見ていると辛いのである。
 レニングラードから来たことになっている(実際はどうなんだろう)ネリスが校長に提出する書類はロシア語で書かれているし、校長が中央に宛ててタイプライターで打つ手紙もロシア語である。
 一瞬「普段はエストニア語で話してるのに、なんで書類はロシア語なんだ?」なんて思ってしまったが、当然である。何故ならここはエストニア、ソ連の一部、なのだから。
 ……ああ、併合されるってこういうことなんだな、と嫌な実感が湧いてきますね!
 そしてネリスの過去を示す資料はドイツ語で書いてあるのだ、これが。駄目だ私には消化出来ない。

 だが個人的に最高にゾワゾワしてしまったシーンは別にある。
 ネリスがカドリと良い感じになる市場のシーンの、二人が出会うその直前に、ネリスが売り子のおばちゃんにザワークラウトを押し売りされそうになるのだが、この売り子のおばちゃん、ロシア語を話している。体型と言い、着ている物と言い、どこからどう見てもロシア人なのである。
 「なんでザワークラウトなんていかにもドイツな物を、いかにもなロシア人のおばちゃんが売ってんだ? 何なの、ロシアとドイツが出会う地なの?」 なんて最初は疑問に思っただけだったのだが、いやホント、その通りだよ。ロシアとドイツが出会う地だよ……。こんなところで出会わなくても良いのにね。まぁ地理的に、うん……。


 ネリスが何気にロシア語を話していたり(一体いつ学んだんだろう)、件の全国大会の告知がエストニア語とロシア語の併記だったりと、映画を見ている内に徐々にロシア語が嫌いになる。
 「全国」大会の開催場所がレニングラード(現:サンクトペテルブルグ)だと言うのも、最高にゾワっとする。ソ連の一部なんだよ!と耳元で囁かれている感じが凄まじい。
 私の中でロシア語への嫌悪感が最高潮のタイミングで迎える、子供達が参加するレニングラードでの大会シーンが、だからこそ輝いて見えた。
 レニングラードでの大会なのだから、当然100%ロシア語状態の中、あまり、というか殆どロシア語を解さないらしいネリスの教え子たちが、戸惑いながらも試合に挑むその姿が、試合中徐々に凛々しくなっていくその眼差しが、非常に胸を突く。
 言語ではなくて、国家ではなくて、個人としての姿がそこにある。




 個人的には、悪役ポジションの校長も結構好きだったりする。ザ・小物って感じで素敵じゃないですか。共産主義時代を舞台とする映画には、彼は絶対に必要ですよ!
 それに、英雄とはほど遠く、基本的に性格のねじ曲がっている私は、どうにもこうにもこの手の小物に親近感を覚えてしまう。



0 コメント:

コメントを投稿